病棟日記 その9

アンユージュアルな体験
入院9日目 

特注の補装具が今日届くというので、退院が明日にのびた。連日の猛暑、暑そうだな~外。明日は上半身をほぼ覆う頑丈な補装具をつけての退院。気合いがいりそうだ。

相変わらず詰所のオープンスペースでは、先生と患者さんご家族とのヘビーな話が進行している。壊死、腫瘍、転移、延命措置など、小説やドラマの世界でしか聞いたことのないようなワードが途切れ途切れに浮上し、改めてここは命を扱う場所なんだという認識を深める。

アイラブTVさんから授かった「感謝の言葉は惜しみなく」の精神は今日も引き続き実践。清掃員のおじ様へ「いつも綺麗にしていただいて、ありがとうございます!」と伝えたら、言ったそばから自分の心も綺麗になっていった。それから、これまでだと自分の中だけに留め置いていたようなこと、わざわざ相手に伝えるという発想すら浮かんでこなかったようなことも口にしていた。例えば今回はゴミ箱の話。先日ゴミを捨てようとしてベッド脇のゴミ箱を覗くと、底に何やら捨てた記憶のない塊があって、その上に透明のビニール袋が敷いてある。何だろう?とビニール袋をとってみると、その塊は新しいビニール袋ワンセットであった。なるほど!これだと毎回新しいビニール袋を用意して持ち込む必要がなくなる。取り替えがスムーズになるよね。という気づきをくれた事に対する感謝の気持ち「このアイディアいただきます!家でもやります!ありがとうございます!」を伝えたわけだ。この時、おじさまは初めて白い歯をみせて下さった。気持ちにはちゃんと気持ちが反応してくれるんだなぁと思った。

朝食後、ここへ来て2回目にして最後の整形外科の診察を受ける。私はずっと脳神経外科の病棟にいたので、主治医も脳神経外科のドクター。整形の先生とのコンタクトはほぼ皆無。その点だけがとても不安であった。ほぼ初対面な感じでスタートした会話は以下のとおり。もうね、全然噛み合ってないよね。明日退院なんだけど・・・。

「先生、わたし、いつから通勤出来ますか?」
「あ、働いてるの??」
   え?逆に聞きたい。その意外性の根拠。

「先生、この間リハビリで
   エアロバイク乗ったんですが…」
「へー、そんな事したんだ~。」
   え? (パードンミー?)
   リリーちゃんと連携とってないんすか?
   先生の指示とかって、ナイ感じすか?
   そういうのはアリなんすか?
   大丈夫なんすか?
   階段とかも~上り下りしちゃったっすよ!
   え?え?え?
   誰を信じたらいいんすかーーー⁉️

誰も信じられないという思いと、全てを信じたいという思いが交錯し、行き着いた先は、結果オーライであった。レントゲンでは骨の状態に変化なし。運ばれてきた日と同じ状態。つまり、悪化はしていないのだから、結果的にはオーライだ。
そうだろう?ベイビー。

そして、入院生活最後のリハビリへ。
リリーちゃんがしっかり横についてくれてるから大丈夫。もう信じることに決めたから大丈夫。エアロバイク?やるやる。
「では、今日も10分間、頑張りましょう!」「は~い!」
ところで知ってました?リリーちゃんのリハビリメニューは、ただ単にバイクを漕ぐだけではないのです。その間ずっとリリーちゃんと会話をするという負荷がもれなくついてワンセットなの。

私:「はぁ、はぁ、はぁ」
リ:「で、例のおばあちゃん家なんですけどね~」
私:「はあ、はぁ、はぁ、あー、愛媛のね。
   結婚したら譲り受けるって言ってた
   はぁ、はぁ、はぁ」
リ:「生前贈与ってことになるんですかね~?」
私:「はぁ、はぁ、はぁ えーっとね~、
   孫の場合は・・・はぁ、はぁ、はぁ」
リ:「年間でいうと・・・」
私:「はぁ、はぁ、はぁ」  
り:「・・・・ですかね~?」 

  あかん、りりーちゃん、
  脳に酸素が足りてない気がする。
  ええんかな、信じてるけど、ええんかな、
  このままいって。。。

リリーちゃんは、最後まで
無邪気にスパルタであった。

さて、9日間に渡り綴ってきた病棟日記もこれにて終了。連日たわいも無い独り言にお付き合い下さったみなさま、ありがとうございました。

今回もし体にメスが入っていたら、ここまでの余裕は多分なかったと思います。痛みは病院に運ばれてきた日がピークでした。受けた傷からすると奇跡的生還に自らの生命力の強さを感じると共に、何か別の力、他力によって命拾いした、生かされた、という感覚も強く、それが今回の入院生活におけるいくつかの「気づき」へとつながっていったようにも思われます。
「気づき」をまとめると、こんな感じ。

気づき1:感謝の気持ちは惜しみなく伝える
気づき2:看護する側、される側双方にとって、
     言葉は最も重要なパイプである
気づき3 : 年老いて誰かの世話になるってことは
すごく覚悟のいることである 

最後にこれは問題提起。
これからの時代、各入院病棟には認知症を患う患者さん専門の看護師さん、もしくは介護士さんの配備が必要ではないか。きっとそれができない理由は山ほどあるのだろうけど、病院が姥捨山ではあまりに悲しい。丸腰の本人も、またその家族も、人質にとられるような思いなく、安心と信頼のもとで預けられる環境を整えてもらいたいです。その事を、一個人の願い、理想としてここに記しておく。

ではでは、今後もこのブログ「言の葉ノート」をよろしくです!その他、5日ごとに変化する七十二候をご紹介する「季節の便り」や、階段落っこちてなければ先月中にアップ予定だった「きょうの言霊」も、なるべく早く立ち上げたいと思っていますので、ぜひまた立ち寄ってくださいね。このサイトIkukologyが、今後も皆さまの止まり木になることを願って。  

川島郁子

病棟日記 その8

アンユージュアルな体験
入院8日目

昨日、再び様子を見に来てくれたメーテルさんに、帰り際、少し声を潜めて私の感謝の気持ちを伝える事ができた。私自身のというより、ほとんどお隣さんの気持ちを代弁するかのような内容になってしまったが、カーテン越しにずっと癒されてきた事も忘れず付け添えた。メーテルさんは、最初驚いたように瞳を丸くし、やがてその深い瞳の色を一層濃くして、こう答えた。「そのお言葉を励みに、これからも精進いたします」

精進などしなくていい。
仕事なんてできなくていい。
だたそこにいてくれさえすればいい。
私の心の声はそう叫んでいた。

昨日はその後、アルチンゲール氏にも思いを伝えるチャンスがあった。彼も恐縮したように丁寧にお辞儀をし、「メーテルさんに比べれば、僕などまだまだです。これからも勉強させてもらいます」と言った。あくまでも低姿勢。そこでふと、私はあることに気づいた。メーテル氏はアルチンゲール氏の先輩なのか・・・。
そして今日、新たな事実を前に、私の胸は歓喜に震えることとなる。

いつものように物静かに病室にやってきたメーテルさん。と、そこへ彼女を追うように慌てて入ってきた看護師さんが、点滴の針がどうのこうの。語尾が「~たらいいですか?」と、彼女に教えを乞うているではないか!
え?もしかして、メーテルさんベテランさん?
私の胸がなぜ打ち震えたか、もうわかっていただけますね。
これまでの彼女の患者さんに対する数々の神対応は、全て、彼女の経験に裏打ちされた技術の賜物である可能性が濃厚となったのです!元々の性格だとか、仕事ができない事と引き換えに~とかじゃなくて、あの神対応は、熟練された神業だったのでは??仕事ができないどころか、全てを完璧にこなすホンマモン。メーテルはプロ中のプロやったんやー!!!

どのような現場でもプロの働きを目の当たりにするのは気持ちのいいものだ。仕事ができるナイチンゲールもいると知った以上、私の胸のつかえは完全に取れた。安堵感が心を浄化し、体内に元気がみなぎるのを感じた。「病は気から」は本当だ。そして院内において、その気を送ってくれるのがナイチンゲールたちなのだ。

さあ、今日はもう50メートルダッシュも逆立ちさえもできそうな「気」がしている。昨日から寝返りも楽になってるし。よし!リリーちゃんが迎えにきた。今日は頑張りますわよーわたし。ところが、今日はそそくさとリハビリを済ませ、その倍以上の時間を恋のお悩み相談に費やすこととなる。病棟の誰もいない休憩室に二人で座り込み、すっかり心を開いてくれている様子のリリーちゃんが切り出した。
「この間、別れたばっかりなんですよ~」ふむふむ。それで終わるわけないよね、この話。ここからがスタートだよね。ということは、「あんたまだ、惚れてるね」(ちびまる子ちゃん風)。心は別れてませんな。互いの家族をも巻き込んだこの恋愛は、なかなか一筋縄ではいかなさそう。しかし、似たり寄ったりの障壁は、かつての私にもあったもんだ。こうやって親身になって話を聞き、多少なりともアドバイスができるのも、そんな経験のおかげだな。こんなところで今頃役立つなんてなぁ〜。

勢いと、とまどいと。若さの象徴を絵に描いたようなリリーちゃんの横顔を、西日が美しく照らしだしていた。若いって、マジいいな〜。一瞬真剣に嫉妬した。で、結局私たちが納得の上に出した結論は「押してもダメなら引いてみな」だった。

部屋に帰り、ぽっかり空いたお向かいのベッドがオレンジ色に染まるのをみて、急に寂寥感に襲われた。ああ、そうだった。もうアイラブTVさんはいないんだった。毎日が新鮮な驚きに満ち、目まぐるしく過ぎていく中で、彼女の事を書くスペースを確保できないまま今日に至ってしまった。私にとって今回の「気づき」のひとつでもある「感謝は惜しみなく」を教えてくれた重要人物なのに。

アイラブTVさんはお孫さんもおられる70代の女性。同じ日に入院し、お向かいのよしみで仲良くしていただいた。
ここ大部屋にやってきた日はTVに繋げるイヤフォンがなくて半ばパニックになっておられ、「これ、聞こえます?」と、ボリュームを最小にしてカーテン越しにどう聞こえるか、向かいの私の所へチェックしにこられたのが始まり。「私は多少聴こえても気にならないので大丈夫ですよー」とお応えし、それ以来、時々言葉を交わし、互いを励ますようになった。

「私、テレビがないとダメなんですよ~」と朗らかにおっしゃるアイラブTVさん、本当に好きなんですね、テレビ。翌日にはイヤフォンも手に入れ、毎日それこそ一日中TVに向かってらっしゃった。時々カーテン越しに聞こえる堪え笑い、漏れ笑いが、これまた微笑ましく、こちらにまで伝染して私も自ずと笑顔に。
笑顔の伝染のみならず、彼女の病院スタッフに対する感謝の念も、向かいの私に伝染した。彼女の感謝の言葉は惜しみない。
「〇〇さん、ごめんなさいね、ありがとう~」
「〇〇さんでしたよね、ご苦労様~」などなど。
いつも誰かに向かって謝辞を述べている。
さらに彼女の一歩上を行く凄いところは、感謝の言葉の前に必ず相手の名前をつけるところ。「ありがとう」と言われて嫌な気がする人はいない。ましてや、社交辞令からグレードアップした、そのひと個人に向けられたパーソナルな謝意である。アイラブTVさんに対するスタッフの扱いが少々手厚く感じるのは、なまじ気のせいではないだろう。
私もアイラブTVさんを真似て、謝辞の前に名前をと試みたが、何回かはネームプレートのチラ見がバレバレで、我が身の未熟さを思い知った。
この病棟日記ではずっと看護を施す人たちの言動にばかりに注目して書いてきたが、アイラブTVさんには、看護を受ける側としての姿勢、心得を教えてもらった気がする。

「綺麗な人やわ~と思っていたのよ~」。どこから見ても疲れ切った病人顔のおばちゃんつかまえて、こんなことが言える人、ひょっとするとそうなのかも?って一瞬いい気分にさせてくれる人。「もう歩けてるの?すごいすご~い!」と元気付けてくれた人。言葉でもって人を喜ばすことが自然にできる人。そんなアイラブTVさんが、今日、息子さんたちに連れられて退院していった。頭を打って歩けなくなったとおっしゃっていたが、本当によかったですね。スタスタと歩いて行かれる後ろ姿に再度大きく手を振った。

そして、今、私は病室の窓から赤く染まる街並みをひとり眺めている。夕食前のつかの間の静けさ。いよいよだな。明日には私も退院だ。あれ?もっとこう、やったー!的な気持ちの盛り上がりはないのだろうか。なんだこの喪失感は。心にポッカリ。なんの穴だよ、コレは。ええー!もしかして、アイラブTVさん・ロス現象??

いよいよ明日は病棟日記 最終回

つづく

病棟日記 その7

アンユージュアルな体験
入院7日目

ある決断。それを早くも実行する時がきた。
アルチンゲールの存在が背中を押してくれた。

あ、失礼。まだご紹介してませんでしたっけ?アルチンゲールさん。えっと、男性版ナイチンゲールです。男性なのにナイチン?ということで、違和感を取り除くべく、仮の名をアルチンゲールとさせていただきました。

昨日はじめてお会いしたのだが、この方がまたメーテルに負けず劣らずの神対応かつ、包容力のかたまり。例えば、ナースコールを押すまでもないお願い事(風呂の予約だったり、歩行器の撤去だったり)も、自分の担当時間内にきっちり叶えてくれる人。かならず処置前に、何のためにそれをするのかを丁寧に告げてくれる人。例えば、「血圧を測るので、腕を伸ばして下さい」「ご飯を食べるので、体を起こしましょう」など。とにかく信頼と親切を盛り込んだケアは、惚れてまうぞレベル。
いつも穏やかな声で話しかけ、まずもって敬語表現を崩さない←これ大事!患者に対してタメ口だったり、子供をあやすような口ぶりは一切しない。
あれって何なんでしょうね。例えば先日、認知症のお年寄りを若い看護師さんが二人して子供扱いし、クスクスと笑いあっている場面に出くわした。本人たちは親しみを込めてやっているつもりかもしれないが、側から見ると決して気分のいいものではない。もちろんそのような扱いを受ける当人もそうであろう。その人は貴方のおじいちゃんおばあちゃんではないのよ、と言いたくなった。
また、「食べないの?じゃあ、自分で食べてねっ」と言ってプイッと出て行く看護師さんもいた。我が子へのネグレクトじゃあるまいし。自分で食べられないからここにおります。一度でいいから腰を据えて、食べられない理由を聞いてはもらえないでしょうか。と、私なら訴えるかな。

当然このような見解は、現場で働くリアル看護師さんたちからすれば綺麗事。病院の激務を知ってから物を言えと、お叱りを受けても仕方ないかもしれない。おっしゃる通り、私はただの行きずりの者。私が残念な思いで眺めたいくつかのシーンは、これまで丁寧な介護を試みたあげくの、疲労の果ての図なのかもしれない。かくいう私も、仮に看護師の職に就いたとしたら、きっとテキパキ系でもナイチンゲール系でもないその中間の、チャライ系にでも収まって、世渡りしていくであろうことは明白。つまりは、どんな仕事も理想と現実の乖離に折り合いをつけながらやっていくしかないという、その事実を私は承知している。

承知した上で、やはり。なのである。頭や体の自由が利かなくなって、孤立無援、ひとりぼっちでベッドに横たわる側になった時、お世話になりたいのは、やはり間違いなくナイチンゲール系なのだ。全てが受け身の状態で、心だけが唯一意思表示できる最後の砦だとしたら、そこで支えてもらいたいのは、やはりメーテルやアルチンゲールなのだ。

本日、ついにメーテルが私のところへも来てくれた。「本日担当させていただきます〇〇です」とのご挨拶の後、色白のか細い腕で血圧を測ってくれた。
「何か心配事はございませんか?」
おお、愛しのメーテルよ。私はあなたが心配なのだ。あなたの繊細な心がいずれポキっと折れてしまわないかが心配なのだ。私はあなたやアルチンゲールがやがて「天使なんかやってられっか!」と、涙ながらに頭上の光の輪をかなぐり捨て、現実の荒波に飲み込まれてしまうのではないかと危惧している。

業界内の人曰く、ナイチンゲール系はイコール、仕事できない系だそうだ。患者には好かれるが、職場ではお荷物。 ああ、なんてこった。なんて現実は残酷なのだ! だからこそ、私は心に決めたのだ。今抱いている感謝の気持ちを、思い切って彼らに伝えようと。なぜならば、天井の一点をずっと夢見心地に見つめているお隣さんは、明日の私の母であり、将来の私であるかもしれないからだ。

つづく



病棟日記 その6

アンユージュアルな体験
入院6日目

「殺したるー!!」の連呼で目が覚める。どなたかが暴れている様子。どのような出来事や感情の蓄積をもって、あのような怒声たらしめるのか。その方の頭の中を少し覗いてみたいと思った。
「〇〇さ~ん、静かにして下さーい!」
対応に当たったのはナイチンゲール系ではなくテキパキ系の看護師さん。なるほど、あの暴言では天使の声はかき消されてしまうだろう。これは適材適所と言わざるを得ない。それぞれの役回りの重要性について、また思考を巡らせる。

朝食の時間。昨日、全粥から普通のご飯に戻してくださいとお願いしたにもかかわらず、山盛りのお粥が運ばれてきた。う~ん、もう一食我慢しようかなとも思ったが、また伝言が伝わらなければ今日も三食お粥を覚悟しなければならない。お粥は決して嫌いではないが、6日連続、朝昼晩と全粥は、さすがに他の病気を疑ってしまうレベルの献立だ。
配膳係の方に事情を説明すると、しばらくたって主食だけ交換してくれた。
それにしても、昨日の伝言経路はどこでどう途切れたのだろうか。暇だとそういうちょっとした事もホームズ並みに推理してみたくなる。この土壇場での主食変更に際し、誰が誰に「すみません」と言ったのだろうか。今回の伝言ミスで誰が余分な仕事をし、誰が我慢したのだろうか。そんな事を考えながら、お粥の代わりにやってきたコッペパンをかじる。うまっ。家では絶対食べないマーガリンも、うまっ。その時点で伝言経路のことはすっかり忘れてしまった。

お昼。お隣さんのところにまたメーテルがやってきた。やったね!もう声でわかる。
「ええっと、今日は~〇〇と△△と□□と…」
おおー、今日はお品書きから説明!!優しい声でナイチンゲールが奏でる。
メーテル:「まずは・・・デザートからいきますか?」
お隣さん:「はい」
メーテル:「姿勢、しんどくないですか?」
お隣さん:「しんどい~」
メーテル:「では、よいっしょ。これでどうですか?」
お隣さん:「ありがとう」

天使を超えて、神対応ですね。何よりも感動するのは、二人の間にちゃんとした会話が成立していること。後日お隣さんのところへご家族が来られた時も、別人かと思うほどしっかり会話されていた。普段は返事をすることすらままならないのに。応対する人によってこんなにも反応が違うという事実が、入院すると認知症が進行すると言われる所以を皮肉にも物語っているように思われた。

今日のメーテルの訪問によって、どんなに認知能力が衰えても、人には人がわかるんだってことがわかった。そして私はこの日、ある事を実行しようと固く心に決めたのである。

つづく

病棟日記 その5

アンユージュアルな体験
入院5日目

今の自分の身体能力を把握し、一つの動きに費やす労力を予測できるようになると、時間に余裕ができる。つまり暇になる。元来何もしない時間が苦手なもんだから、動けない分、気持ちだけがチョコマカ、チョコマカしている。それに「口が寂しい」。あ、これ、本来の意味とは違います。誰かと無性にお喋りしたくなる事=口が寂しい。まさに今の私の心境にピッタリな表現だ。

今日のリハビリ担当はリリーちゃんじゃなかったけど、またしてもお母様が私と同い年という娘さん相手に、よー喋った!会話って楽しい!ブラボー!カンバセーション♪

因みに本来の意味での口が寂しいは、ここに来てからずっと。超規則正しい生活をしているおかげか、お腹がすごく減る。淡白な病院食も健康面においては理にかなった味付けなのであるからして〜、と妙に納得しながら、甘んじて受け入れている。

さて、
今日はそんなどうでもいい話しはどうでもいいのだ。今日はこの入院生活における「気づき」の中核を占める重要人物と出会うことになる。その名もメーテル(仮名)。マスクから上が銀河鉄道999のメーテルにそっくり。

看護師さんには大きく分けて二つのタイプがいるという。ひとつはテキパキ系、もうひとつはナイチンゲール系。メーテルはまさしくナイチンゲール系であった。

それまで看護師さんのタイプなど気にもしなかったが、お隣さんを訪れる看護師さんの言動を小耳にするたびに、とても敏感になってしまっていた。
おそらく認知症を患っておられるお隣さんは、いつも夢の中にいるような感じで、ずっと同じ体勢のままベッドに横たわっておられる。そんな夢見心地の合間に、強制的に覚醒させられるのが食事の時である。いつも突然なので夢と現実の境界が曖昧なままだ。
「目、開けてー。ねないで下さいねー!食べてくださーい!」と催促されながら、ただなすがままに無言で口をあけている。ところがある日そこへ、ナイチンゲールが来た。メーテルだ。

穏やかな声で、○○さん、と呼びかけ、口へ運ぶ前にかならず食品の名を告げ、「あーんして下さい」と促す。この一連の、まるで美しいメロディーを奏でるかのよう流れるパッセージが、夢から現実へのゆるやかな道標となり、お隣さんが徐々に目覚めていく。そして、なんと驚いたことに、ポソっと口を開いた。

「おいしいです」と。

「おいしいですか?よかったよかった」

カーテン越しでもわかる。患者さんに向けるメーテルの眼差しが。それは、もうもう、絶対、天使なのである! (く〜っ、おいしくてよかったなぁ〜もぅ)思わずこちら側でもガッツポーズ。

もしかすると、メーテルさんは新米さんなのかもしれない。ひとりひとりの患者にそこまで丁寧に接せられないというのが現場の本音かもしれない。だからこのエピソードを美化するつもりはない。けれど、こと認知症の患者さんに関しては、フランスの認知症ケア「ユマニチュード」に代表されるように、その人の人間らしさを大切にしたケアが必要なのだ。だって、その人は何もわからないのではなく、ちゃんとわかっているから。自分が大切にされているかそうでないかは、ちゃんとわかっているから。ただ、入院病棟にそこまで細やかなケアが必要か?というと、これまた別の論議になるのかもしれない。

ともあれこの日以来、私は看護師さんという専門職を興味を持って深く観察することになる。

つづく

病棟日記 その4

アンユージュアルな体験
入院4日目

四日ぶりに娘が会いに来てくれる。持病を抱えながら家事も犬の散歩も全部一人で頑張ってくれている。このタイミングで言うべきことでもないが、言っておく。生まれてきてくれてよかった。ありがとう。
今日はやたら優しい気持ちになる。他人に対しても自分に対しても。娘の顔を見たせいもあるだろう。けど、一番の原因はこれかもしれない。長い便秘の喪があけたから!

さて、理学療法士のリリーちゃんがまた迎えに来てくれた。もうすっかりお友だち。でもお母様は私と同い年、あはっ。ジムまでの道のり、今日のクロストークもなかなか濃い内容であった。例えば「コロナ病棟への派遣について」など。完全オフレコ。

そうこうするうちに、ジムに到着。ここで穏やかな空気がなんか別モンにかわる。


え?もうエアロバイク乗るのん?

キョトンとしてる私にリリーちゃんは親指を立てている。ワタクシの背骨、破損してますの…という訴えを瞳の奥で表現しようも、リリーちゃん相変わらず不動の笑顔。

あなたは仏の顔した鬼ですかー⁉️


支えてもらいながら恐る恐るサドルにまたがる。エアロバイク自体、独身時代イキってジム通いしてた時以来よ。本当に大丈夫なのかしら……あら、あらら、いけますわー!わたし、いけますわー!リリーコーチ❣️

この無茶振り体験により、お腹周りの筋肉?環境?が随分と改善された気がする。その証拠に、昨晩は咳ひとつでうめくほどの痛みだったのが、軽い咳なら平気になった!やっぱ運動って大事なんやなぁ。サンキュー、リリー❣️

病棟日記 その3

アンユージュアルな体験
入院3日目

こんなところで?
こちらの病棟には面談室らしきものが見当たらない。詰所も仕切りのないオープンスペースになっており、その一角で主治医と家族の面談が始まる。先生、声大きいからね、病室からも会話の断片が聞こえるのですよ。今日は植物人間の定義について、ご家族の質問に答えておられた。メモ片手に談話に参加したかった。

さて、今日からリハビリ開始。歩行器で初めて病棟を出る。あんだけハデにすってんころり〜んやって、まだ寝返り打つのもひと苦労なのに、三日目でまあまあ歩けてる自分に驚く。
担当についてくれたのは、理学療法士のリリーちゃん(仮名)。二十代後半の気さくな女子。いきなりテンション高めで会話を牽引しようとしている。元気づけようとしてくれてるんだ。ありがとう。でもね、リリーちゃん、ワタクシを誰だと思って?ただのオバチャンじゃあないのよ。ナビゲートは、まかせてね❣️

初対面とあらばインタビューアーとしての腕が鳴るのも当然。途中、休憩で座ったソファーにて始まりましたよー、レッツ!深掘りインタビュ〜。まずはご自身のプロフィールに始まり、理学療法士への道のり、このお仕事のやりがいと若干の不満などを聞き出す。さらには医療関係の職種による待遇の違いや、平均年収の開示に至るまで。素直なリリーちゃん、赤裸々に語ってくれました。

今日は、ほぼほぼ頭のリハビリね。よー喋りました。会話は脳トレと、言語聴覚士の方も言ってたし。
ということでっ(ラジオ風)、本日のゲストは理学療法士のリリーちゃんでした。ありがとうございましたー!

つづく

病棟日記 その2

アンユージュアルな体験
入院二日目

骨がグシャッとなってて、頭の中に血が流れてて〜という、恐ろしいイメージと共に一夜を過ごしたが、この状況の正式名称がわかった。

腰椎椎体骨折 
&
外傷性くも膜下出血

旧友のお医者さんに告げると、それって死ぬやつやがな。危ないなぁ、酔ってたんか?と。まあ、その返しも無理はないけれど、そんなに危なかったのか。これって命拾いなんか。と神妙になる。

しかし、呼び名がわかると病気との会話もし易くなる。腰回りの常に うっ と来る筋肉痛みたいなやつにも、起き上がる際に起こる脳内マグニチュード7並みの揺れにも、そらしゃあないわ、ボチボチいこか。と、心と身体で慰め合うことにする。

今日は4人部屋に移動した。窓際なんが嬉しい。それにしてもここの病棟の雰囲気は、やたら明るい。あっちこっちでドカンドカン起こる笑い声が女子校っぽい。敬語もちゃんと飛び交っているので、上に立つ者が良かれ悪しかれこの雰囲気を作り出しているのは間違いない。テキパキ動きながらキャッキャキャ。一方、動けない患者達の静まりかえった病室。この静と動のコントラストが鮮やか。どちらも現実なんだな。これが病院というところなんだな。

つづく

病棟日記 その1  

アンユージュアルな体験
入院1日目

実家の階段から転げ落ちた。
午前3時。なぜ起きたかは覚えている。隣室の琥白(柴犬)が吠えたので、そこへ向かったはず。が、気づいたら階下にいた。
寝ぼけて足を滑らせたのか、貧血で気を失ったのか、とにかく転落の直前から直後までの記憶が全くない。なんとか這って玄関先までたどり着いたらしい。

介護をしに来ている場所で自分の介護が必要となった場合、さあ、どうする⁉️

どうしようもないわ‼️
救急車に来てもらう。

ピーポーピーポー!

ご近所の声(おそらく)
「あら、あそこのお爺ちゃん大丈夫かしら」
My内なる声
「すいません、お騒がせしておりまーす。
娘の方でーす。」

その後の記憶は断片的。
コロナでどこも大変やのに申し訳ないなぁ。寝返り打てへんなぁ。気持ち悪ぅ。保険証は…など、とりとめなく。ともかく未明からずっと付き添ってくれている娘に感謝。

あれこれ検査を受けた結果、背骨が破損、脳にも出血がみられるとのことで、入院決定。もう、覚悟決めるしかないわねぇ。。。

その日の夜もなかなかアンユージュアルな夜であった。やっと眠りについたと思ったら、「おしっこ〜 おしっこ〜」の声に目が覚める。お隣さん、ずっと叫んでらっしゃる。けど、看護師さんが来る様子はなし。早く早く〜と私が焦る。そのひとつ向こうの病床ではご婦人が誰にともなく「どうしてなんですか?」としきりに疑問を呈してらっしゃる。私もどうしてこうなっちまったのかと、つい気持ちが後ろ向きになる。

天井しか見ずに運ばれてきたので気付かなかったが、どうやらここはスタッフステーション(もうナースステーションとは言わないのね)の中に設けられた、スタッフの目が一番届く場所であることが、後日わかった。また、おしっこはちゃんと管に繋がれていた。でもご本人にその自覚がなければ、やはり焦るよね。管の存在を知ってからも、催す気持ちはずっと伝わってきて辛かった。そして遂に「おしっこー」が「たすけてー」の連呼に変わった時は、思わず自分のナースコールを押してしまった。ごめんなさい。新参者の余計なお世話だったかな。でも、隣人の助けてーって叫びは、なかなか無視できるものではない。
こうして入院第一夜は悶々と更けていった。

つづく

エンジェルナンバー

最近また面白いようにゾロ目と遭遇する。
「遭遇」なので、決して意図的ではない。
ふとした拍子に、”思いがけず” だ。
主に携帯で時刻を確認するとき。
『おっ!ゾロやん!』
なんかこう、
得した感じになる。
単に時計を見る頻度が高いのか・・・
だからなんやねん、なんやけど。
記念にいつもスクショを撮っている。

直近の成果↓

気持ち的に、何か意味付けしたくて調べてみた。
すると・・・・

ゾロ目は『エンジェルナンバー』
と呼ばれており、
天使たちからのお告げなんですってー!!

大事大事。
お金のいらないスピリチュアルは大歓迎よ。
信じたいものだけを信じます!わたし。

数字は独特の波動と周波数を有しており、
私たちは無意識にその波動をキャッチ。
よく出会う数字は自己の潜在意識、
あるいは守護天使からのメッセージ。
なんだって〜。

(再度)信じたいものだけを信じます!

数秘術を生み出したピタゴラスさんは、
万物の本質は『数字』であるからして、
その数字の法則に従って、その人の
資質や才能、個性、性格なども
読み解くことができる。
と、おっしゃっています。
ふむふむ。

その「数字には意味がある」という
数秘術の基本的な考えは、
哲学者プラトンによって引き継がれ、
今に発展していったそうです。

私の場合、1010に連日遭遇しました。
エンジェルナンバー1010は、
“あなたは宇宙からの導きを受け取っている。
直感に従うことを後押しされている。
勇気をもって一歩踏み出すように。”
とのメッセージ。

はい!
あれこれ悩むことはやめます。
直感に従います!
後押し、おおきに!

ご参考までに
現代の数秘術が定める数の意味を
こちらにあげておきます。
流派によって違いがあるようですが、
ピタゴラスさん達が定めた意味付けは
およそ次のとおりです。

1 理性
2 女性
3 男性
4 正義・真理
5 結婚
6 恋愛
7 幸福
8 本質
9 理想と野心
10 完全・宇宙

こちらで、ピタゴラス数秘術を使った
一般的な占いができます。

生年月日の数字を全て足し算していって
最後の二桁も足して、最後に出てきた数字を
上の意味づけの数字と照らし合わせてみて〜。

ピタゴラスだけに、
あなたの潜在意識にピタッとはまる??