川島家のシークレット(5)


エントリー No.5 『愛の結晶』

父と母が運命的な出会いを果たし、愛を交わし合った末、この世に生まれ落ちたのが私。偶然の賜物とはいえ、賜物歴もこう長くなると原点の奇跡に感謝せずにはおれない。いまさらながらお父さん、お母さん、ありがとう。

さて、ざっくりとした馴れ初めは聞いているが、当時の熱愛の温度までは伝わらなかった。
これを発見するまでは。。。。

(筆者の了承を得てここに掲載す)

ロマンチストかっ!

いや、私ですらとうの昔、忘却の彼方におき忘れてきたこのロマンチズムが故に私の原型が宿ることになったわけであるからして、これはもう、歴史的なパピルスなのだ。

結核で床に伏していた母に対するこの積極性にも感謝せねばならない。

父の熱愛に対して当時の母はどうだったのだろうか。バランスのとれた恋文はみつかっていない。

こちらは単身赴任していた父に宛てた母の手紙。
実にあっさりしている。


「人数が少ないほうがいいですから
 せいぜいそちらで長く勉強して帰ってきてください」

COOLだね〜。

せめて “郁子のパパ像” が父の心の癒しとなってくれていたならと願う。

川島家のシークレット(4)

正月過ぎから頑張って実家じまいに励んでいるけれど、「それがお前の本気か?」と我が身を叱咤せざるを得ない状況だ。タンスの奥や戸棚の中から着手しているものだから、見た目がな〜んも片付いとらん。むしろ掻き出しているぶん、とっちらかっとるよ!

遅々として作業が進まぬ原因は物の多さだけではない。そう、手に取るものに い・ち・い・ち 感嘆しているからだっ。

たとえば、コチラ。
エントリーNo.4『やたらかっこいい表紙

背表紙が渋いねー。あたしゃあんたの背中に惚れたんだよ。印字が食い込んでる感じ?活版印刷っていうのかな。この手作り感、重厚感がたまらないね。
中身は ラ・・ヴィエデ・・・ナンチャラカンチャラ。1行足りとも理解できないどころか読めもしないけどさっ。

安心おし。あんたを見捨てやしないよ。


さて、そこまで(表紙に)惚れ込んだのだから、せめて何の書物かぐらいは把握しておくべきであろう。Wikipediaによると、こちら3部は、国際法の発展に大きな影響を与えた18世紀の国際弁護士エムリッシュ・ヴァッテルの国際法に関する法的論文とのこと。
(てっぺんのVATTELって人名だったのね)

と、父の書斎でこの本を手にし、背表紙を撫でたり、パラパラめくったり、調べ物をしたりして費やした時間はおおよそ5分。この調子で一品一品感慨にふけっていたらどうなることか。
ここは現実的な数値をはたき出して我に返るよう自身に仕向けたい。

たとえば川島家の蔵書。すでに段ボール箱4つ分の書物は処分したが、述べ1万冊は下らない。
5分x1万冊=50000分は、およそ833時間。
24時間寝ずに片付けしても34日かかる。
本だけで。


何に出会っても、心を殺すしかない。

つづく

川島家のシークレット(3)

エントリーNo.3 『牛乳瓶ふた開け』
懐かしすぎて涙が出そう

昭和ノスタルジー編

家で、学校の給食で、常に身近にあった昭和グッズ。ぐっと刺してスポンと外れるあの手応え、死ぬまでにもう一度味わってみたい。
コレ、紙キャップに特化した、よくできた商品ですよね。発明者に拍手👏

紙キャップ、復活しないかな。
して欲しいな。
メンコ遊び、上手な子がいたな。
かなり上から狙って翻すテクニシャン。
ゲーマーならぬメンカー。
商品名が描かれたキャップデザインも個性的だった。なによりエコだね〜。

それにしても、あの蓋、どうやって入り口にはまっていたのだろう。端っこを爪でこそいでも、きまって失敗する。表面の印刷部分だけ剥がれて残念な気持ちになる。この蓋開けで刺してはじめて気持ちよく取れるのである。それほど牛乳のフタはピタッと入り口にくっついていた。牛乳がこぼれないように。牛乳に落っこちないように。絶妙なバランスで。今考えるといろんな工夫が施された商品だったな。

そんな牛乳製品も、かつての瓶+紙キャップから紙パックへ、最近では手で広げる屋根型からプラスチックキャップへと変化しつつある。どうだろう、一周回って原点回帰する日が来るかもしれない。

つづく

川島家のシークレット(2)

エントリーNo.2『銀玉』

ふたつ

健身球 Healthy Ballか〜、ふむふむ。
身体によいタマx2ってことでOK?
持ってみると、わりとずっしり重たい。

転がしてみる。
(注意 音でます)

何気にありがたい音が奏でられました。
Lotus Pond・・・「蓮池牌」と書かれていることだし、ご利益もありそうな。でも、どうやって使うのかなぁ。 
とりあえず、ツボぐりぐりとかやってみたけど、タマタマが二つある意味を見出せないまま、箱にしまう。
使い道をご存知、あるいは発見された方はぜひSNSにご一報を。

(ああ、やはり「とりあえず箱」が欲しい)

つづく

川島家のシークレット(1)

エントリーNo.1「白い粉」
はたしてその正体は???

SHARK?
えっ、あのシャーク?
シャークのパウダー?
サメ粉?

って何よ、もう・・・(冷汗


くるっとひっくり返して、
おかあちゃんのデカイ添え書きに助けられました。

フカヒレねっ!


で?

いかようにして
活用するのでしょうか

飲むのだよね、何かに混ぜて。
あるいは、ふりかける?
まさかコネコネしてパック使用?

色々試してみたかったけれど、賞味?消費?期限がとうの昔に過ぎていたため処分させていただきました。
それにしても、どこで買ったのかな。100%ピュアと書いてあったな。
100%純粋な白い粉。危険な香りがしなくもないオモロ発見であった。


つづく

川島家のシークレット(0)

<前置き>
訳あって実家じまいを一手に担う事となった。

いる物といらない物。その中間に母が設置した「とりあえず置いておく物」というグレーゾーン。家財の大半を占めるこのグレーゾーンのおかげで、捨てる捨てないの決断頻度が一気に跳ね上がる。そもそも母譲りの捨てられないタイプ。気づけば「とりあえず箱」なるものを脇に置き、無意識に曖昧領域を作ったりしてしまっている!
あかん、あかん。
今こそが、白黒はっきりさせなあかん時!

それにしても、捨てても捨てても一向に物が減らないのはどうしたことか。

それもそのはず、わずかに残る祖父母の遺品も含めると、一世紀以上にわたり蔵入りしていたグレーゾーンもあるわけで、100年の月日を紐解く作業は遅々として進まぬ。

因みに「蔵入り」などと表現したが、お宝発見の可能性は限りなくゼロに近い。昔から我が家に高価な物など存在したためしがない。家宝を伝え聞くことも皆無であった。それでも母が「とりあえず」を詰め込んだ蔵のなりそこない納屋が3棟。秘宝ならぬ珍品、長年封印されて来た数々のシークレットに出逢えることは間違いない。捨てるに忍びないガラクタもあるだろう。その一部を、せめて記録としてここに残しておこうと思う。

『川島家のシークレット』
まずは、さっそく出会ってしまいました。
薬棚の奥の奥の奥から・・・
エントリーNo.1「なぞの白い粉」

つづく

大阪の日本画

大阪中之島美術館で現在開催中の
開館1周年記念特別展 大阪の日本画」を見に行ってきた。

初めての大阪中之島美術館。外観も中もモダンな造りでおしゃれ。黒い外観てよいね。お友達のお家の外観も黒の木造りなんだ。これがまた素敵なんだ。わくわくして中に入る。

さて、東京でも京都でもない『大阪』の日本画とは?

大阪から生まれた日本画がどのようにこの地で発展し、どのように人々に親しまれてきたかを知ることができる。というこの展示会。ふむふむ。
なんでも商業都市として発展してきた大阪は、商人がパトロンとなって画家たちの生活を支えていたそうだ。大阪ローカルの画家たちは、商家の床の間に飾るための「床の間芸術」を手がけ、パトロンとともに茶会を楽しみ(接待のようなもの?)文化的な交遊をこなせる教養も身につけていたようだ。
なかなか大阪の画家たちも商売人だ。
こういったパトロンのおかげで生活に余裕があったせいか、公募展などに出品し、名を売ることで仕事を受注する必要もなかったといえる大阪の画家達。ええんかわるいんか、ようわからんけど、精神的には楽やったんちゃうやろか。たぶん。
画家同士の交流も、京都のような厳しい上下関係はなく、横の繋がりが強く、ジャンルを超えたお付き合いも盛んだった様子。これまた大阪人らしいと言えるか。

さあ、そんな僅かながらの前知識を得て、いざ拝見。

どこがどう大阪ちっくなのかはわからないのだけれど、わたくしもしかすると、大阪の日本画というよりも、近代の日本画に惚れてしまったかもしれない!稚拙な表現で申し訳ないが、まずもって色使いが美しい。というか好み。ラインはまろやかなんだけど「しゅっ」としてる感じ。男前。潔い。そして、落語でいう間の取り方も絶妙。(右左の空間、同じでなくてもいいんだ)などなど。

学芸員さん、何ていってたかな・・・
難しい言葉・・・
そうそう、「瀟洒」(しょうしゃ)
意味:すっきりとしゃれている様子。
まさに、それ!!!

かっこいい!

明治から昭和に至る近代大阪の日本画に光をあて、個性豊かな作品が連なる浪華の名画大集結。

寒波が通り過ぎたら、みなさんもぜひ。
会期は4月2日までです。

PS:音声ガイドおすすめ。
片岡愛之助さんの大阪弁、ええですよ〜。

2023年始動

みなさま、明けましておめでとうございます。

旧年中はこちらのブログや、七十二候のコーナー「季節の便り」を度々覗いてくださり、ありがとうございました。個人的には後半は怪我や手術など「痛い」思いを散々した一年でありましたが、年末にはすっかり厄を落としきったと信じ、清々しい思いで新年を迎えております。

振り返ってみますと、あの一連の負の出来事も「財産」であることに間違いはない。そう思えてなりません。おかげさまで「健康」を自分ごととして捉えられるようになったこと。「死」は意外と簡単に訪れるものだと気付いたこと。後ろや前よりも「今」を大事に生きることが得策。などなど。いくつかの「気づき」の財産を得ました。

まだ背中も鼻も完治とはいかず、もしかすると病む前の状態にはもう戻れないかもしれないけれど(嗅覚がヤバイ、臭わない!)。それでもやっぱり、「起こったことは全て正しい」そう思えるのです。←これは誰の言葉だったかな?最近の私を強力に支えてくれている言霊です。

さて、「言葉は魔法の力をもつ」を信条に、ずっと密かに取り組んできましたコンテンツがいよいよオープンとなります。首をなが〜くして待っていてくださった皆様、本当にすみません!丁寧にやりすぎてサイト立ち上げから恐ろしい月日が経ってしまいました。ろくろ首になっちゃってませんか???しかし、言い訳ではないけれど、これは一生使えるコンテンツなので、是非みなさんの日々の生活にご活用ください!

昔「魔法の杖」という本がヒットしたの覚えていますか?聞きたいことを念じて本を開くと、そこに自分にとって必要な言葉が出てくるという占い本。実は私、今もこの本を愛用していまして、日々の些細な決断の時の、軽い背中押しに活用させてもらっているのです。この本からヒントを得たのが、この度のニューコンテンツ「きょうの言霊」です。

こちらはタロットや占星術などではなく、世界の偉人が残した魔法の名言を中心に、自戒の念を込めた私自身の言葉を添えた100の言霊。どの言霊を選ぶかはあなた次第です。目を閉じて浮かんだ数字の封筒を開けてください。今あなたの心が最も必要とする魔法のメッセージがそこに。

たかが言葉、されど言葉。このコンテンツを制作しながら、私自身すでに幾多の魔法の言葉に勇気をもらいました。多分この先も、事あるごとにお世話になることでしょう。
みなさんにとってもこの「KOTODAMA」が、日々の生活のちょっとしたサポーターに、あるいは明日を生きる道標になれば幸いです。

なお、100の言霊全てに、私が撮ったお気に入りの写真を添えました。こちらでもまた、言葉とイメージが絡み織りなすイマジネーションの世界をお楽しみください。
 

では、今年もゆるりとお付き合い、
よろしくお願いいたします。

IKUKOLOGY

いま、新撰組が新鮮

久しぶり、京都文化博物館へ行ってきた。

現在開催中の「新撰組展2022」
知ってるようで知らない新撰組の実態とは?
この展覧会では、近年までの調査で明らかになった新知見を生かしつつ、史実としての新撰組に迫っている。

展示品のひとつひとつにじっくり向き合ううちに、肌感覚で伝わってきた時代背景と幕末の志士の汗と涙。写真がある。手紙がある。刀がある。生きた歴史がそこにある!

近藤勇や土方歳三のポートレイトは写真。写真は光に弱いから、今回は特別のご披露らしい。(土方さんは、やはりイケメン。鬼の副長とのギャップにやられる)
孝明天皇が所持した短剣や土方さんの愛刀・銘 和泉守兼定もキラリ。池田屋で使用された防具も展示されている。武装し刀を振るう姿が目に浮かぶようだ。
そして、今回特に部数の多い手紙は現代語訳が添えられているのがありがたい。新撰組隊士の胸中がリアルに迫る直筆の書簡。それにしても昔の人はみな達筆だなぁ。一文字一文字に魂が込められている。重い。切迫感が伝わる。命がけの手紙。
さらに歩を進めると、近藤勇の処刑を伝えるニュース速報、瓦版が目に飛び込んできた。京都三条河原に晒された首の絵がショッキング。これも史実。生きた歴史である。
などなど、見応え十分すぎて、途中係りの人に「まだ半分もご覧になっておられませんよ」と催促される始末。会場を出る頃にはすっかり夕暮れの京都になっていた。

激動の幕末に散った熱い男たちの足跡。
敗者側の資料というのは、はなかなか残らないらしく、今回は文化財としても貴重な展覧会となっている。新撰組をまた新たな視点で捉えられるかもしれない。興味のある方はぜひ。

京都文化博物館

PS: 斜め向かい、三条通りのslurp スラープさん、美味しかった。










人生の道連れ2

事前のリサーチで、術後が苦しいと知ってはいた。私の場合、痛みは堪えられても吐き気は抑えられず、何度も吐血。そこでふと、もうろうとした頭で思い出す。鼻から喉に流れ落ちる血を飲んでしまうと吐き気をもよおすと誰かの手術体験記に書いてあった。唾液と思って飲み込んでいたそれは、血液ではないか?そのことを看護師さんに伝えると、ハッとした顔をなさったので多分そうなのだろう。しばらくして先生が来てくださった。やはり、鼻から喉に流れ落ちるものは全て吐き出すようにとのこと。

この時初めて、飲み込めない辛さというものを味わう。普段無意識にやっているゴックン。これをずっと我慢するのって意外と難しい。意識していないとつい飲み込んでしまうのだ。しかし飲み込むと吐き気という罰を食らう。まるで電気ショックを受けるラットの気分だ。おまけに両鼻はぎっしりガーゼが詰め込まれているため、ずっと口呼吸。とにかく喉に全集中だ。喉が乾燥するとさらに辛いのでマスクをするも、3〜5分おきに血を吸った鼻穴の綿球を取り替えなくてはならない。吐き気と回らない頭でせっせとルーティンをこなす。ゴックンを我慢→マスクを下げて血液をペッ→鼻の綿球取り替え→マスクを上げて、またひたすら喉の奥に流れ落ちるものをせき止める。
ところで、綿球の取り替えは手鏡を見ながらするのだが、初めて術後の我が鼻を見た時は驚きを通り越して、ほほう〜と感心してしまった。見事な膨張ぶり。ゴム人間ルフィの鼻版だ。どうりでiphoneも顔認証しないはず。このまま戻らなかったらどうしようという一抹の不安を抱えながら、ようやくウトウトできたのは翌日の明け方近くであった。

さて、副鼻腔炎の手術で、患者にとって一番の難関と言われるものが「ガーゼ抜き」。体験記を拾っていると、「激痛」、「耐え難い痛み」などと記されており、チキンな私は相当にビビっていた。前もって先生にガーゼ抜きの日時をしっかりチェックし、その2時間前には痛み止めを服用することも忘れなかった。ところがどっこい、思いの外すんなり終わって胸をなでおろす。痛みがなかったといえば嘘になるけれど、耐え難きものではなかった。それにしても鼻の穴の向こうは恐ろしいほど奥深い。まるで”きりたんぽ”のようなガーゼの塊が、ちょうど目頭あたりから鼻のトンネルをスルスルと抜けていくリアルな感触。あれは人生初のドキドキ体験だった。

ふぅ。兎にも角にも今回の手術入院の最難関は突破した。と、その時は思ったのだ。その時は。「な〜んだ、余裕のよっちゃんよね〜🎶」と昭和ギャグを絡めながら、天にも昇る心地ですらあった。甘かった。その翌日、余裕のよっちゃんは哀れにも自爆した。つまり私の場合、(人の体験記なんて当てにならないことを思い知る)痛みのピークはガーゼ抜きではなく、その後の鼻のお掃除であったのだ!長〜いファイバースコープのようなものを2本、巧みに操りながら、T先生は私の鼻のトンネル奥深くへと突き進む。痛いです。マジで痛いですよ、先生!!麻酔?のガーゼを入れた後でこの痛さってどんだけなんすかー!ってなことを言う余裕のよっちゃんは、もう影も形もありませぬ。「目を開けた方が楽ですよ〜」いつもの穏やかな調子でT先生は言う。すかさず歌舞伎役者ばりにカッっと目を見開く自称チキン。そうか、これで楽になるのか〜、目も鼻も口もみんなみんな繋がっているんだな〜。友達なんだな〜。

結局この鼻のお掃除は、退院後の外来でも続くことと知り、少々ゲンナリ。でも奥まった箇所なんだから仕方ないですね。1ヶ月前の怪我は一歩間違えばかなり危ない状況ではあったが、切らずに済んだ分、体への負担は運び込まれた時をピークに徐々に軽減していき、気力の回復も早かった。しかし今回は鼻という限定的な部位とはいえ、やはり切っているので体力、気力ともに元に戻るには少々時間がかかりそうだ。退院後は微熱が続き、しばらく痛み止めも服用。嗅覚はいまのところまだ戻っていない。焦らずのんびりいこう。このまま順調に回復した後のすっきりした鼻通りと共鳴を楽しみに。

今回オペをしてくださったT先生には最初から全幅の信頼を寄せていた。いつも丁寧に問診、説明をしてくださり、不要な不安を取り除いてくださった上で、オペは鼻茸除去だけでなく、鼻腔内の歪みの修正やアレルギー性鼻炎の改善など、いくつもの項目をいっぺんに処置してくださったゴッドハンドの持ち主。手術直前には、緊張がピークに達した私の顔を覗き込み、「大丈夫ですよ〜」と、そのゴッドハンドで優しく肩をトントンと叩いてくださるなど、精神面でもおおいに救われた。いい先生と出会えて本当によかった。
麻酔科の先生にも感謝。声を使う仕事なので呼吸確保の管を通す際に声帯が傷つかないか心配だと打ち明けたところ、声帯を越す(という言い方をされていた)やり方があるんですよと、その場で手書きの絵を描いて声帯を傷つけない方法があることを説明してくれた。おかげで術後に喉がヒリヒリするようなことは一切なかった。ありがたいことだ。

そんなこんなで今回も色んな人のお世話になった。家族にも友人にも大変助けられた。残念ながら昨日、私が抱えているのは好酸球性副鼻腔炎という原因不明の難病であることが判明。再発の可能性が高いそうだ。同じ疾患を持つ患者さんひとりに対し、T先生は4回手術したと言っていた。うぇ〜ん、チキンはもう手術したくないです〜。こうなれば、なるべく再発しないよう予防できることは全てやっていこう。T先生とは一生のお付き合いになるかもしれないな。


病は気から。できれば前向きに捉えたい。今回の手術を経てわかった自分の体内で起きている奇妙な現象。少々厄介な奴だが、人生の旅仲間が一人増えたくらいのつもりで、歩を進めていこうと思う。

おわり