病棟日記 その7

アンユージュアルな体験
入院7日目

ある決断。それを早くも実行する時がきた。
アルチンゲールの存在が背中を押してくれた。

あ、失礼。まだご紹介してませんでしたっけ?アルチンゲールさん。えっと、男性版ナイチンゲールです。男性なのにナイチン?ということで、違和感を取り除くべく、仮の名をアルチンゲールとさせていただきました。

昨日はじめてお会いしたのだが、この方がまたメーテルに負けず劣らずの神対応かつ、包容力のかたまり。例えば、ナースコールを押すまでもないお願い事(風呂の予約だったり、歩行器の撤去だったり)も、自分の担当時間内にきっちり叶えてくれる人。かならず処置前に、何のためにそれをするのかを丁寧に告げてくれる人。例えば、「血圧を測るので、腕を伸ばして下さい」「ご飯を食べるので、体を起こしましょう」など。とにかく信頼と親切を盛り込んだケアは、惚れてまうぞレベル。
いつも穏やかな声で話しかけ、まずもって敬語表現を崩さない←これ大事!患者に対してタメ口だったり、子供をあやすような口ぶりは一切しない。
あれって何なんでしょうね。例えば先日、認知症のお年寄りを若い看護師さんが二人して子供扱いし、クスクスと笑いあっている場面に出くわした。本人たちは親しみを込めてやっているつもりかもしれないが、側から見ると決して気分のいいものではない。もちろんそのような扱いを受ける当人もそうであろう。その人は貴方のおじいちゃんおばあちゃんではないのよ、と言いたくなった。
また、「食べないの?じゃあ、自分で食べてねっ」と言ってプイッと出て行く看護師さんもいた。我が子へのネグレクトじゃあるまいし。自分で食べられないからここにおります。一度でいいから腰を据えて、食べられない理由を聞いてはもらえないでしょうか。と、私なら訴えるかな。

当然このような見解は、現場で働くリアル看護師さんたちからすれば綺麗事。病院の激務を知ってから物を言えと、お叱りを受けても仕方ないかもしれない。おっしゃる通り、私はただの行きずりの者。私が残念な思いで眺めたいくつかのシーンは、これまで丁寧な介護を試みたあげくの、疲労の果ての図なのかもしれない。かくいう私も、仮に看護師の職に就いたとしたら、きっとテキパキ系でもナイチンゲール系でもないその中間の、チャライ系にでも収まって、世渡りしていくであろうことは明白。つまりは、どんな仕事も理想と現実の乖離に折り合いをつけながらやっていくしかないという、その事実を私は承知している。

承知した上で、やはり。なのである。頭や体の自由が利かなくなって、孤立無援、ひとりぼっちでベッドに横たわる側になった時、お世話になりたいのは、やはり間違いなくナイチンゲール系なのだ。全てが受け身の状態で、心だけが唯一意思表示できる最後の砦だとしたら、そこで支えてもらいたいのは、やはりメーテルやアルチンゲールなのだ。

本日、ついにメーテルが私のところへも来てくれた。「本日担当させていただきます〇〇です」とのご挨拶の後、色白のか細い腕で血圧を測ってくれた。
「何か心配事はございませんか?」
おお、愛しのメーテルよ。私はあなたが心配なのだ。あなたの繊細な心がいずれポキっと折れてしまわないかが心配なのだ。私はあなたやアルチンゲールがやがて「天使なんかやってられっか!」と、涙ながらに頭上の光の輪をかなぐり捨て、現実の荒波に飲み込まれてしまうのではないかと危惧している。

業界内の人曰く、ナイチンゲール系はイコール、仕事できない系だそうだ。患者には好かれるが、職場ではお荷物。 ああ、なんてこった。なんて現実は残酷なのだ! だからこそ、私は心に決めたのだ。今抱いている感謝の気持ちを、思い切って彼らに伝えようと。なぜならば、天井の一点をずっと夢見心地に見つめているお隣さんは、明日の私の母であり、将来の私であるかもしれないからだ。

つづく