病棟日記 その5

アンユージュアルな体験
入院5日目

今の自分の身体能力を把握し、一つの動きに費やす労力を予測できるようになると、時間に余裕ができる。つまり暇になる。元来何もしない時間が苦手なもんだから、動けない分、気持ちだけがチョコマカ、チョコマカしている。それに「口が寂しい」。あ、これ、本来の意味とは違います。誰かと無性にお喋りしたくなる事=口が寂しい。まさに今の私の心境にピッタリな表現だ。

今日のリハビリ担当はリリーちゃんじゃなかったけど、またしてもお母様が私と同い年という娘さん相手に、よー喋った!会話って楽しい!ブラボー!カンバセーション♪

因みに本来の意味での口が寂しいは、ここに来てからずっと。超規則正しい生活をしているおかげか、お腹がすごく減る。淡白な病院食も健康面においては理にかなった味付けなのであるからして〜、と妙に納得しながら、甘んじて受け入れている。

さて、
今日はそんなどうでもいい話しはどうでもいいのだ。今日はこの入院生活における「気づき」の中核を占める重要人物と出会うことになる。その名もメーテル(仮名)。マスクから上が銀河鉄道999のメーテルにそっくり。

看護師さんには大きく分けて二つのタイプがいるという。ひとつはテキパキ系、もうひとつはナイチンゲール系。メーテルはまさしくナイチンゲール系であった。

それまで看護師さんのタイプなど気にもしなかったが、お隣さんを訪れる看護師さんの言動を小耳にするたびに、とても敏感になってしまっていた。
おそらく認知症を患っておられるお隣さんは、いつも夢の中にいるような感じで、ずっと同じ体勢のままベッドに横たわっておられる。そんな夢見心地の合間に、強制的に覚醒させられるのが食事の時である。いつも突然なので夢と現実の境界が曖昧なままだ。
「目、開けてー。ねないで下さいねー!食べてくださーい!」と催促されながら、ただなすがままに無言で口をあけている。ところがある日そこへ、ナイチンゲールが来た。メーテルだ。

穏やかな声で、○○さん、と呼びかけ、口へ運ぶ前にかならず食品の名を告げ、「あーんして下さい」と促す。この一連の、まるで美しいメロディーを奏でるかのよう流れるパッセージが、夢から現実へのゆるやかな道標となり、お隣さんが徐々に目覚めていく。そして、なんと驚いたことに、ポソっと口を開いた。

「おいしいです」と。

「おいしいですか?よかったよかった」

カーテン越しでもわかる。患者さんに向けるメーテルの眼差しが。それは、もうもう、絶対、天使なのである! (く〜っ、おいしくてよかったなぁ〜もぅ)思わずこちら側でもガッツポーズ。

もしかすると、メーテルさんは新米さんなのかもしれない。ひとりひとりの患者にそこまで丁寧に接せられないというのが現場の本音かもしれない。だからこのエピソードを美化するつもりはない。けれど、こと認知症の患者さんに関しては、フランスの認知症ケア「ユマニチュード」に代表されるように、その人の人間らしさを大切にしたケアが必要なのだ。だって、その人は何もわからないのではなく、ちゃんとわかっているから。自分が大切にされているかそうでないかは、ちゃんとわかっているから。ただ、入院病棟にそこまで細やかなケアが必要か?というと、これまた別の論議になるのかもしれない。

ともあれこの日以来、私は看護師さんという専門職を興味を持って深く観察することになる。

つづく