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霞始靆
春霞がたなびき、遠くの野山がぼんやりとかすんで見える頃
春になると、冬の乾いた空気に比べて大気中に水滴や細かな塵が増え、遠くの景色がぼんやりとかすんで見えることがあります。こうした現象を「霞(かすみ)」と呼びます。意外にも霞は気象用語ではないのですね。霧の一種ですが、学術的に定義されたものではなく、
文学的表現として古くから使われてきました。「霧」が秋の季語なのに対して「霞」は春の季語。そう、春限定なのです。たしかに「秋の霧」と「春の霞」とでは、どこか趣が違いますね。発生する時期だけでなく、それぞれに使われる動詞も違います。「秋の霧」は“たちこめる”、「春の霞」は“たなびく”と表現します。「深い霧がたちこめる」「淡い春の霞がたなびく」。同じ現象なのに、受ける印象はずいぶん異なります。さらに霞は夜になるとまた呼び名を変えます。夜の霞は「朧(おぼろ)」と呼ばれます。月へんに龍。「龍」という字は「はっきりしない様子」という意味もあるとか。「朧月(おぼろづき)」や「朦朧(もうろう)」といった熟語にも、その意が反映されていますね。因みに「朧月」も春の夜のお月様にしか使えない言葉となっています。霞は「朝霞(あさがすみ)」、「夕霞(ゆうがすみ)」「朧(おぼろ)」の他、「薄霞(うすがすみ)」、「八重霞(やえがすみ)」、「遠霞(とおがすみ)」など、時間帯だけでなく、その形状によっても名を変え、美しい言葉で形容されてきました。ぼんやりとヴェールに包まれた風景にも季節を感じ、そこに美を見いだしてきた先人たちの豊かな感性を思わずにはいられません。

ところで、仙人は霞を食べて生きることができるとか。どんな味がするのでしょうか。下界の民はついついそういう卑しいことを考えてしまいます。霞は食べれずとも、目覚めたばかりの春の気を胸いっぱい体内に取り込んで、どんどんエネルギーに変えていきたいですね。
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